並進運動時の補償性眼球運動の特性
笠井研究室 渡邉 朋信
1.はじめに
日常時、頭が空間に対して様々な運動(回転、並進)を行っているにもかかわらず、視線方向は安定している。これは、頭の動きに対し補償性の眼球運動r68oが存在するためだと考えられる。頭の回転を補償する眼球運動(VOR:vestibulo-ocular reflex)が存在することは良く知られているが、これだけでは、並進成分の補償は説明できない。したがって、並進方向にもVORと類似の補償性眼球運動があると考えられる。本研究では、この並進移動時の補償性眼球運動の存在を確認し、その特性を調べた。
2.測定方法
実験は完全な暗室内で行う。被験者は、左右に平行移動する椅子(平行椅子)に座る。平行椅子は周波数0.5Hzで正弦波状に動かす。眼前23cm(near)、380cm(far)の位置にLEDを配置し、点灯または消灯させ、現実または仮想ターゲットとして被験者が注視する。頭の動きは磁気センサにより測定する。眼球の動きはEOG法により、左眼、右眼の回転角を測定し、それを加算、減算する事で、輻輳性眼球運動、共役性眼球運動とした。
被験者が行う実験タスクは、4種類ある。一回の試行は、30秒である。
- 6種類の振幅で椅子を並進させ点灯しているターゲットを注視し続ける。
- 振幅±17cmの振幅で椅子を並進させ点灯しているターゲットを注視する。4秒後、ターゲットは消灯するが、被験者は暗闇の中でターゲットが点灯していた位置を想起し注視し続ける(dark(near)と記述する)。
- 振幅±17cmの振幅で椅子を並進させnear-far-dark(near)-farまたは、near-far-near-dark(far)と切り替わるターゲットを注視する。
- 振幅±17cmの振幅で椅子を並進させ、near-farとターゲットが切り替わり、farの間に自発的に輻輳運動を行い意識はfarのままでターゲットを二重視で見る。その後、ターゲットを消灯する。
3.測定結果
- 暗闇の中でも頭の位置と逆位相のなめらかな眼球運動が実現できていた。ターゲットを消去後、補償性眼球運動のゲイン(Eye velocity/required eye velocity)は時間が経つと共に低下した。このゲインの減少率は被験者により大きく異なった。ターゲット消去後、位相が約10〜20[deg]進んでいる事がわかった。
- 暗闇でnearターゲットを想起することにより、眼球運動速度が顕著に増大した。
- 客観的状況が3.と全く同じであるが、輻輳角が増加しても眼球運動速度の増加は見られなかった。
4.結論
視覚情報のない暗闇でも滑らかな眼球運動が可能であることから、頭の並進を耳石器(卵形嚢)により検出した信号を用いて補償性眼球運動を実現する機構が脳に存在していることが確認できた。高速のトラッキングが可能であることから、スムースパーシュートとは異なる機構であると考えられる。並進移動時の補償性眼球運動はVORとは異なり、距離情報が不可欠である。この距離情報は物理的な距離ではなく、被験者が知覚した距離情報であると考えられる。空間知覚が眼球運動を制御する仕組みが今後解明すべき課題である。